こんにちは、広報担当イカです。
今日は仕事のお話です。
テーマは、今村式が注力している、越境ECの制作・運用。
まだまだ業界的にも手探りであるため、村式からも、制作でのノウハウを発信していきたいと思います。
今回は、1月にリニューアルを手掛けさせていただきました
元湯 環翠楼(かんすいろう)様のサイトを例に、
翻訳作業においてのテクニックをご紹介いたします。
元湯 環翠楼様は、江戸時代から続く老舗旅館であり、
国の登録有形文化財にも指定されるほどの、希少な木造による高層建築のお宿です。
今回、制作に関わるメンバー全員が旅館へ訪問させていただき、
その場の空気や世界観を体感してきました。
実際の制作では、
宿の歴史の深さや風格を表現する言葉遣いを心掛け、コンテンツづくりを行いました。
そのため翻訳にも、それらを表現するためのテクニックが必要となりました。
1. ECサイト制作時においての、「文章の目的を考えた翻訳」
以下は、元湯 環翠楼がどんな宿であるかを伝えるためのリード文の、和英比較です。
遠い昔に迷い込んだような時代を感じさせる建物、皇室ゆかりの品々、往年の文化人による墨跡。
多くの人に愛されて歴史を紡いでいった有形文化財のお宿で、至福のひとときをお過ごしください。
日本文の方は、ハイライト部分の情景描写から入っているのに対して、
With one step into Kansuiro Ryokan, you can feel a sense of its history.
Surrounded by artifacts related to the imperial family and calligraphy from artisans of the past,
you’re able to indulge yourself in our “treasure house”.
英訳文は、まず
「環翠楼へ一歩踏み入れると」という、具体的な動作を想像させることで、
後の情景描写への感情移入を促しています。
情景描写から読み手に世界観を空想させ、興味を抱かせる目的を、
原文とは違った角度で実現できました。
一文一文がセールコピーになり得る、ECサイト制作での翻訳作業において、
何を伝えたいかだけでなくこの文章によって齎したい効果をも汲み取った訳をすることが、翻訳家の腕の見せ所となってきます。
2. 間違えやすい日本語〜尊敬語の解釈・歴史事実の確認〜
以下は、「環翠楼」の名前の由来について語られた文章の翻訳での、失敗例(!)です。
伊藤博文は当館を定宿として度々訪れ、大広間で酒宴を催しました。実は、当時の“元湯鈴木”という名称に加え、“環翠楼”という新たな屋号を贈ったのも博文だったのです。伊藤博文が当時の楼主である鈴木善左衛門に与えられた漢詩「勝驪山 下翠雲隅 環翠楼頭翠色開 来倚翠欄旦呼酒 翠巒影落掌中杯」のなかに表記された「環・翠・楼」の三文字がその名の由来とされます。雄大なる山々の緑色が映える楼閣のイメージが、その三文字の中に込められています。
文中の、「与えられた」という尊敬語は、ここでは「伊藤博文」にかかっており、
起こった出来事としては、
でした。
ところが、英訳時、
「与えられた」が「楼主」にかかっているという誤解があり、
という内容で、以下のような誤訳が発生しました。
Mr. Ito visited and held parties here many times. One day he was admiring a Chinese poem called “Shourizan”. This poem was given to the first owner, Zenzaemon Suzuki.
Mr. Ito picked up 3 characters from this poetry — 環 (kan), 翠 (sui) and 楼 (ro) — then, after much thought, added a mark name to this hotel as “Motoyu Kansuiro Suzuki”.
正しくは、以下になります。
Mr. Ito visited and held parties here many times. One day he made a Chinese poem to be given to the first owner, Zenzaemon Suzuki, as a largess. Mr. Ito picked up 3 characters from this poetry — 環 (kan), 翠 (sui) and 楼 (ro) — then, the Japan’s first prime minister re-named this hotel as “Kansuiro”.
和文には、曖昧な表現が多々あり、
翻訳者側で、内容の事実・背景の理解が必要な場合もあります。
翻訳にもいろいろあり、訳者にもそれぞれのスタイルがありますが、村式では、
ただ日本語を訳すのではなく、訳者自ら実際に対象に触れ話を聞くことが、
より臨場感ある文章を提供する要になり、心のこもった仕事へとつながっていくと考えています。
3. 和歌の英訳
今回、翻訳作業において一番チャレンジングだった部分は、「和歌」をどう伝えるかです。
専門家の解釈を英訳して掲載するのが望ましいのですが、
明確な解釈が出ていない歌のため、
出ている分の解釈をつなぎ、詠み手の心情が伝わるような英作文をする必要があり、
非常に難しい仕事となりました。
君が齢 とどめかねたる 早川の
水の流れも うらめしきかな
ー環翠楼に宿泊中の天璋院さまが亡き和宮さまを想って残された句
歌の中で「天璋院さま」は、
早川の水の流れの速さと、失われる命の儚さを重ね合わせ、無念さを表現しています。
‘The flow of Hayakawa river is running, rushing,
telling me nothing could stop you dying Looking at this stream,
I can’t stop regretting your death at such a young age.’
– The poem read by Lady Tensho’in thinking back about Lady Seikan’in-no-miya during her stay at Kansuiro Ryokan
和歌においては、具体的な内容を説明してしまうと趣が無くなってしまうため、
川の流れの描写から、和宮さまへの想いを擬人化した言い方でつなげ、詩的な表現を行いました。
まとめ
和文には、「主語の不在」「修飾語の多さ」「同じ単語の言い換え」など、
英文には無い表現が多く、しかしながらそれが、日本語の持つ情感の豊かさにつながっています。
その豊かさを表現することによって「日本らしさ」を伝えられる一方で、
情報過多なコンテンツとなり、ユーザーの離脱の原因ともなり得るため、
シンプル化する部分と、伝えるべき本質の部分のバランスに気を使っています。
村式では、
越境ECというフィールドで挑戦をする中で、
その国の技術・文化・価値観の魅力を、正しく伝えることが出来るか、理解されるかどうかが、真の意味での成功につながっていくと考え、チームで日々工夫を凝らし、学びを共有しています。
これからもブログで時々ご紹介してまいりますので、
お役に立てる部分がありましたら幸いです!