最近のわたしは旅ばかりしている。そして旅に出るたび不思議な体験をするのがわたしというものだが、一昨日、朝6:00に鎌倉を発ち、岐阜の山奥に出かけた。
ご覧の通りフォトジェニックな、「モネの池」と通称されるこの池は、地元ではもともと「名もなき池」と呼ばれていたらしい。
レンズとは面白いもので、時として人間の視覚とは違うものを映し出す。
どちらが「正しい」ではなく、人間の眼に映る色彩と、レンズを通した色彩はそれぞれ違う。
人間は自分の目に見えることのみ信じたがる傾向があると思うが、果たして本当に全てを見ているのだろうかという懐疑は、常に持ち続けたほうがいい。
特に最近、老眼の加速度的な進みを実感するわたしは既に、眼に見えることを放棄しそうな勢いである。日本では昔から、それを「心眼」と呼んだりする。
さて、12:00ごろ現地に着いて、早速カメラを回し、日差しが水面に反射する時間帯は昼食をとって、再び日が暮れるまでカメラを回す。
夜は岐阜市内の居酒屋で郷土料理をつまんだ後、睡眠3時間。
4:00に起きて再び池に行き、また撮影。
ずっとコイのことを考えて過ごした。
寝ても覚めても。
コイは人を盲目にし、不思議な気分にさせてくれる。
それは耽美で、理性を超え、心の深いところを溶かす。
こちらの意を介さず、思うままにならず、通い合ったと思えば離れていく。言葉は無力で、役に立たず、身の置きようのないせつなさをもたらす。
ああ、君は美しい。しなやかで自由だ。
コイを知らない人生なんて、何の価値があるのだろう。
鎌倉への帰路で、行きに寄ったパーキングエリアにまた立ち寄った。そこから見渡す伊豆半島。
その景色は、たかだか1日、およそ30時間前に目にした光景であるのに、なんだろう。なんだか1ヶ月ぶりぐらいに見る景色のようだ。
いったいわたしたちはどこにいて、何をしたのだろう?
全員が、同じように、そう感じた。
コイは人を狂わせる。
お気に入りだった金のコイ。
帰宅して画像を見たら、背後に「蛇のような姿」が映っているのを見つけた。
村式の創業者は全員「巳年」。ああ、素晴らしいことが起きるんだろう。
これが蛇であろうとなかろうと、世界はあまりにも素晴らしい。
だからお先に、失礼します。